2014年8月22日金曜日

チネイザンプラクティショナーへの道その⑤(チネイザンとの出会い編)

チネイザンと初めて出会い、チネイザンの面白さにのめりこんでいったことを振り返りたい。

初めてチネイザンというものをしてもらったのは、今から6年くらい前だったと思う。その昔、新潟に住んでいた私は、旅行好きのあずさちゃんと知り合いになった。久しぶりに東京で再会し、彼女がチネイザンの勉強をしているということで練習台になった。

痛かったとか、気持ちよかったとか、そういう感覚を残念ながら忘れてしまったのだけれど、私はその夜彼女と久しぶりにあったこともあったのか、夜中の3時過ぎまでしゃべり続けていたことを鮮明に覚えている。

私のお腹にたまっていた感情が流れ出てきたのかと今では思う。チネイザンは、面白いと思ったけれど、プラクティショナーになるまでに100セッションしなくてはならないということに、『大変だねー。そりゃあ、私には無理だな』と言っていたのが懐かしい。

それから、タントラのワークショップで知り合いになったタリカとの出会いから、またチネイザンをする機会を得る。タリカとの出会いがなければ、今こうしてチネイザンをしている私はいなかったと思う。

忘れもしない、とある瞑想会に参加した時の休憩時間のこと、タリカが何気に私のお腹を触ってくれた。
『便秘だねー。こりゃー、そうとうきてるね』と言われてお腹をもんでくれたその後・・・・・
わずか数十分たたずに便意を感じトイレに駆け込んだ私。
チネイザンって、す、す、すごいな・・・・と衝撃を受けた。

それから、ポツン、ポツン・・・・とチネイザンをタリカにしてもらった。
タリカはもともとメイクさんで、外面的な美しさと共に、内側から身体を整えていく大切さを追求しはじめ、チネイザンのセッションを始め、女性性を開花させるワークショップを気功やタントラの技法を交えて全国規模で行っている。http://www.taoalchemia.com/p/workshop.html
身体に触れているボディーワーカーだからこそ、彼女の身体を使ってのワークショップは、身体からの癒しがおこってくる。男っぽい女性が、美しい女神に変化していく姿をみて私も何度かその奇跡を体験している。


(タリカにどうしてもとお願いして、結婚パーチーのメイクをしてもらった時の写真)

タリカのセッションをメモしていた記録を覚書として、記しておく。結婚前の仕事もフルにハードだった頃のこと・・・。

☆☆☆☆

帯状疱疹で、体が思うように動けなくなった中で、運良くタリカのチネイザンのセッションを受けることができた。 

久しぶりにタリカにお腹をもんでもらったけれど、これがまたすごく効く~という感じだった。 
押してもらいたいところに、押してもらいたい強さで、ぎゅぎゅーっと押してくれる。 
「第一チャクラと第三チャクラが疲れきっているね」と言われた。 

体のそこから力が湧いてこない枯渇した感覚は、去年の夏以来のことだった。 
そこまで何を疲れきってしまったのか立ち止まって考える。 

普段終末期医療の現場、看取りをしているとやはりそれだけでも疲れてしまうことがあるのだろうし、結婚が迫っているということも自分にとっては大きなことなのだろう。 
結婚して、子供を産みたいという私の切なる願いは、あと少しで叶えられそうなところにきた。 

そんなところで、何か私の中の葛藤というものがやってきたのだろう。 

タリカに 
「現実が迫ってきて、怖気づいたか・・・そういう不安とかを、うまく彼とシェアできていないんじゃないの?」 と言われて、真意をつかれた感じがした。 

頑張って疲れ果てている彼を前に、グズグズいいたくない私もいるし、 
それぐらいは私の問題だから、自分で解決しなくてはと思ってしまう私。 
多分、多くの人はそうやって一人で頑張って抱えてしまうのだろうな。 

体は正直で、たくさんたくさん愛を送ってよとサインを出してくれる。 
そんなときに、どうやってケアをするか。 

生きている以上、体調が悪くなることがあるのは当たり前。そういった中でどうやってつきあっていくかが、大切なんだなと思う。

☆☆☆☆

うんと具合が悪くなって、へろへろになっていく私に、定期的にきた方がいいと言ってくれたタリカ・・・。私はそれができなかった。

チネイザンを継続してしていくことで、身体が変化していくことを教えてくれたのは、私のセッションを信頼して委ねてくれたモニターさんだった。

このモニターさん達がいなければ、私はチネイザンが素晴らしいものだと分からなかった。

2014年8月14日木曜日

チネイザンプラクティショナーへの道 その④ ( タイマッサージ編)

私は、これまで数多くのマッサージを習ってきた。

インドでは、インド人にアユールヴェーダマッサージを習い、日本においても指圧、アロマオイルマッサージ、様々なことを学んできた。

どれも、それなりにその時は出来たのだけれど、する相手がいないのでスルリスルリとテクニックは自分の手から滑り落ちていくような気がした。

だからこそ、チネイザンは本当に出来るようになりたいと真剣だった。

看護師として大切にしている視点は、病態を一つとして捉えず、全体を通してみること。
だから、ただお腹をもむのではなく、身体全体をほぐしながらチネイザンをしたかった。

チネイザンの合宿で出会えたタイマッサージの先生~清水マニさんに、タイマッサージを習えたら、
チネイザンの復習が出来るし、身体がほぐすことができるんじゃないかと考えた。

そんなわけで、私はチネイザンのセッションをこなすと共に、タイマッサージを習いに名古屋へ行った。

そもそもタイマッサージの中にも、チネイザンと似通ったお腹のマッサージもあるのだし、どちらも学ぶことで、より深いチネイザンができるのではないかと思った。

私はマニさんのセッションギバーの在り方に心底惚れている。何度となくレクチャーの中で伝えてくれる言葉を、セッションをする度に思いだす。

「自分がまずくつろぐこと。 自分の呼吸で整えていくこと。吐く息で、緊張を放していく。息をすう度にハートのスペースが拡がっていくのを感じて。その温かさをゆっくりと相手に伝えていく。

ゆっくりと触っていくことで、相手の体温と自分の体温が溶け合うのを感じて」


マニさんのタッチは、瞑想的で、静かで優しい・・・。



贅沢なことに、マニさんと奥様であるセピタさんの二人がほぼマンツーマンで教えてくれた。



タイマッサージが大好きで、タイで滞在した時には、毎日通い、いつかは習いたいと考えたいた私は、タイ人よりも上手で、なおかつタイマッサージを愛している二人から多くのことを学び得ることができて、本当に幸せだった。

しかしながら、レベルⅠ,Ⅱにわたる技の数の多さには本当に驚いた。
全部をやろうとするならば、5~6時間かかるだろう。

全てを完璧に覚えることはできないけれど、少しずつ少しずつ覚えていきたいと思った。タイマッサージができるようになるまでには、1000をこなさなくてはという格言?!があるらしい。

それを目指してみたいなと思う・・・・。






パートナーにタイマッサージをすると、「すごく上手になったね!」と褒められた。

一番愛する人が喜んでくれるマッサージができるのが、何よりもの力だと思う。


2014年8月13日水曜日

チネイザンプラクティショナーへの道 その③

100ケースをする為には、原則20人の人に5回セッションをしなくてはならず、周りにいるボディーワークをしている友人に声をかけた。身体に触れている人なら、色々なことをフィードバックしてくれるだろうと考えたから。

テルミーの治療をしている友人、フェイシャルをしている人、アロマテラピーをしている人、エネルギーワークをしている人・・・・・そのほか色々。

50ケースをやり終えるまでは、本当に必死だったと思う。

始めのうち、「痛い~!」と言われると、マゾっ気のある私は、嬉しくなってしまい、「痛みが良くなるよー!」と笑顔でその部分を攻め込んでいた。ああ、その時にマッサージをさせてもらった人に、本当に申し訳ない気持ちだ。

はじめに練習台になってくれた友人たちに心から感謝を述べたい。

練習を重ねると共に、タオイストジャパンでフォローアップ練習会を何度かしてくれたので、それに参加した。http://www.chineitsang-project.com/124811249312452124701253112539124731247912487124511246412523125401250365306124791252212459.html

熟練された技術を持つタリカが、気功のエクササイズを教えてくれながら、復習をすることができて、すごく有意義な時間だった。

タリカが、「自分の横隔膜を感じてみて・・・。人の身体に触れるのに、自分がきちんと感じられなかったら、エネルギーをそこに送れないんだよ」と言うように、自分の横隔膜に意識を向けた。

恥ずかしながら、自分の身体や人の横隔膜を意識することなどなかった。チネイザンをするまでは、身体をどこか平面的にしかみていなかったことに気付かされた。

確かにお腹が膨れているとか、硬いなとかはもちろんみるのだけれど、その奥にある臓器を感じるという意識すらなかったのだ。看護師として恥ずかしい限り・・・・・。

そのこと自体に気付けただけ、私にとってはチネイザンを学んだ価値があるなと思う。

手技も安定してきた頃、宇宙マッサージをするプリミ恥部さんとの出会いがあった。彼のマッサージは、本当に愛の状態になれるのだ。彼は、「エゴをなくすことです」とよく言っていたけれど、私はその人をなんとかしてあげたいというエゴだらけの状態だった。

そこから「マッサージはやっぱり愛だよね」ということ再認識した。だから、私が触れる身体の臓器が愛されて喜んでくれるようなチネイザンを目指そうと強く感じるようになった。

不思議となんとかしてあげようと思っていた時より、硬いお腹の人が緩んでくれるようになった気がした。

姑の介護の合間に、時計とにらめっこしながら100ケースに向かって、とにかく走り続けた。


2014年8月12日火曜日

チネイザンプラクティショナーへの道 その②

チネイザンをしていて、毎日もんだりもまれたりする日々を過ごしていると、本当にお肌がピカピカになっていくのを感じた。

仙人が発見したように、おへその周りをもみほぐし、ときほぐすことで、不要なエネルギーが流れ出ていくのだろうと思う。

そして、おっぱいが大きい二人のもとへ、オーブもやってきた。

心身共にピカピカになった私達は、100ケースをする大きな宿題を抱えて女神山を後にした。

チネイザンは、普通のマッサージと違ってやはり臓器へ直接的なアプローチをする為に、その後の
反応が色々と起こりやすい。そしてまた、変化も大きい。この変化を見つめ、チネイザンの深みを体験する為にも、100ケースをこなすというのは、今にして思えば妥当な数だと思う。

何にせよ、「100」という数字は重たく、当時仕事をフルでしていた私にとっては、難しい問題だった。

何より手技について自信がなくて、どうやっていったらいいのか正直立ち止まってしまった。



チネイザンプラクティショナーの道 その①

チネイザンプラクティショナーへの道・・・・去年からの道のりを、今更?!ようやく語りはじめることに・・・・。

どうして、チネイザンプラクティショナーになろうかと思ったのかというと、やはり仕事と自分のことを振り返らざるをえない。

患者さんのほぼ100%近くは、様々な理由で便秘になる人が多かった。私自身もひどい便秘症・・・・。そのような理由から、10年以上前になるが、インドで知り合った気功の先生に(後ほどこの先生が有名な先生だったというのは、今になって気付くのですが)教わったお腹のマッサージを、よく患者さんにしていた。
すると、「あなたが触ると、ウンチが出るの!ウンチの先生!」など言われ、お腹を触るとウンチを出してもらえる看護師として、認識されることがあった。

以前からチネイザンをしているタリカに、いよいよチネイザンのコースを始めると聞いた時、絶対学んで、それを看護にとりいれたい~と思ったのが始まりだった。


チネイザンプラクティショナーになるためには、まずUniversal Tao 公認のインストラクターより、手技を学ばなくてはならない。私はタオイストジャパン  http://www.chineitsang-project.com/
で、2013年の9月に行われたコースに参加した。大好きな女神山は、美しい森の中にあって、
美味しいご飯と、素敵なホールがある素晴らしいロケーションなのだ。




チネイザンは、腸だけでなく、様々な臓器へアプローチをしていく。肝臓や脾臓、膵臓、そして肺、腎臓・・・。一つ一つの臓器へのアプローチを毎日教えてもらえるのだけれど、情報がたくさんで覚えられないほどだった。


なので、こうやって、身体にポイントを書いて写真に撮ってみたり・・・・。先生にぐりぐりされたりして身体に落とし込んでいく。


ユタ先生は、ドイツ人だけれどタイに暮らしながら、チネイザンやヒーリングラブといったセクシャルエナジーのワークを教えている。美しく、厳しく、そして優しい素敵な先生だ。

忘れがたいのは、たくさんお腹をもまれているうちに、自分の滞っていた部分が表面化して、久しぶりに持病の喘息症状が出てしまった。

その時に、たまたま同室だったタイマッサージの先生であるマニさんが、マッサージでほぐしてくれた。
たくさんタイマッサージを受けたけれど、身体の中に光を感じ、開いていくのを体感させてくれたのは彼が初めてだった。

マニさんとチネイザンの練習をしていても、心地の良さにウトウト眠る私だった。